犬鳴山の伝説

犬鳴渓谷の七つの滝と寺号「七宝滝寺」の由来

写真: 行者の滝淳 和天皇(824〜834)の時、天下大早魃があり、そこで淳和天皇は諸国の霊山、神社仏閣に祈雨の祈願をさせ、当山でも住侶が本尊不動明王に祈雨の大法を 修しました。すると霊験空しからず、泉州一円は慈雨に恵まれることができました。そこで淳和天皇は、犬鳴山中にある著名な七瀑を金銀などの七宝に因んで、 七宝滝寺と命名しました。七瀑とは、両界の滝(金胎両部の滝として二瀑があり、これを合わせて両界の滝といいます。一の滝とも)、塔の滝、弁天の滝、布引 の滝、固津喜の滝、行者の滝、千手の滝、の七つで、今も尚千古の姿のままに飛沫を上げています。

さらに、弘法大師空海は、この七瀑に七福神を祭祀されました。このため山中の七滝は七福神・不動の霊瀑といわれ、一度この山を参詣すれば、七福神・不動明王の霊気を受け、福徳増進するといわれています。

山号「犬鳴山」の由来と義犬伝説

写真: 義犬の墓宇 多天皇(889〜898)の寛平二年(890年)三月、紀伊の猟師が犬を連れて、当山の行場「蛇腹」附近で一匹の鹿を追っていました。猟師の傍の大樹に大 蛇がいて、猟師を狙っていましたが、猟師はそれに気づかず弓をつがえ、鹿に狙いを定めて射ようとしたとき、猟師の犬は愛犬は急にけたたましく吠えだしまし た。犬の鳴声におどろいた鹿は逃げてしまい、獲物を失った猟師は怒って、腰の山刀で吠え続ける愛犬の首に切りつけました。犬は切られながらも大蛇めがけて 飛び上がり、大蛇の頭に噛みつき、猟師を助けて大蛇と共に倒れました。

事の意外さを知った猟師は、自分の命を救って死んだ愛犬の死骸をねんごろに葬り、弓を折って卒塔婆とし、そして七宝滝寺に入って僧となり、永く愛犬の菩提を弔いつつ、安らかに余生をすごしたと語り伝えられています。
この話を聞いた宇多天皇は「報恩の義犬よ」と賞し、「一乗鈴杵ヶ岳(一乗山、鈴杵ヶ岳とも)」を改め「犬鳴山」と勅号を与えたと伝えられています。

院号「白雲院」の由来と「志津の涙水」

写真: 志津の涙水犬 鳴山 七宝滝寺は、院号を「白雲院」と呼ばれていますが、これには乙女の哀しい物語があります。その昔、淡路の小聖という修験者がいて、しばしば御所へ出入りし ているうちに、官女の志津女という美人に想われる身となりました。小聖は修行の妨げになるからと志津女を振り切って、犬鳴山中に逃れてきました。志津女は 小聖をあきらめきれず、あとを追って諸国を探し求め、遂に泉州犬鳴山に小聖が修行しているのを風のたよりに聞き、修行僧に一目会うべく犬鳴山まで来まし た。しかし、険しい渓谷の山路と、飢えと寒さ、そして俄にたちこめてきた白雲によって道を見失い、ついに路傍に悶死しました。村人は志津女の死体をねんご ろに葬りました。

こうした事があってから、犬鳴山に白雲が立ちこめる日は必ず雨が降るので、村人は「志津の涙雨」だと言い、また、倒れていた附近からこんこんと涌き 出ている清水を「志津の涙水」と呼ぶようになりました。志津女の墓は、本堂下手100mの附近、参道の傍にあり、その下より今も涙水のように、清水がポト ポトと涌き出ています。書院はこの時から、白雲院と呼ばれるようになったと伝えられています。また、一心を込めた願い事がある場合、この水を持ち帰り、毎 日飲用すると必ずや願い事が成就するといわれています。

写真: お志津地蔵尊付近にはお志津地蔵尊の御堂が建立され、一願成就のお地蔵さまとして信仰を集めています。